■ A MIRACLE FOR YOU 

                




「ばぁーんちゃんv お誕生日、おめでとー…」


小さく小さく言って、眠っている蛮の横顔に顔を近づけると、そっと頬に唇を寄せた。
時刻は、ぴったり午前12時。
「12月17日になりましたー。へへ…。”おめでとう”一番乗りーv」
そんなことが嬉しくて、またも独り言のように小さく小さく言葉にする。
できれば日付が変わった瞬間に、二人でビールとかでも持ってカンパーイとかしたかったけれど、今夜に限って蛮は早々に眠ってしまい―。
起こしてまでという訳にもいかず、銀次は日付が変わる瞬間を、時計をじっと見守り1人カウントダウンしていた。
もしかして蛮は、そういう雰囲気が苦手だから、とっとと眠ってしまったのかもしれない。
―それでも。
今年もまた蛮の誕生日を一緒に迎えられる、一緒に祝える。
それだけの事が、銀次には嬉しくてたまらない。
大袈裟と人は笑うだろうが、常に死と背中合わせの過去を生きてきた二人だから、それは至極当然かもしれなかった。
たくさんのことは望まない。
ただ、お互いが、いつも互いの傍らで笑っていられたらそれだけでいい。
他人から見ればきっと、些細でちっぽけな幸福だろうけれど、それで胸がいっぱいに満たされるのだ。
オレにとっては贅沢だよ?と、銀次はいつも思う。


そして。
よく眠っている蛮を確かめて、今夜もいつものようにスバルを降りる。
月が滔々と輝いている。
今夜も冷え込みは厳しいが、それでも心持ちいつもより寒さがマシな気がするのは、今日が銀次にとって、一年の内でもっとも大切な日だからだろう。
それに今夜限りで、こんな秘密も最後だし。
最後の仕上げをして、袋に詰めて…。
そうして、おめでとうの言葉と一緒に蛮に渡そう。
後はまあ、罵倒されようと、こづかれようと。 
―いいや。
受け取ってもらえたら、それだけで。
「くしゅん! ああもう! マフラーに鼻水ついちゃうよー。でも、何とか出来てきたし! これで仕上げしたら、明日…あ、もう今日か。やっと蛮ちゃんにあげられんだなあ…。よかったー。にしても、マフラーって、オレしたことないからわかんないけど、長さってこんくらいでいいのかなー。蛮ちゃんの身長ぐらいあったら足りるよね?」
相変わらず、1人ぶつぶつと呟いてみる。
誰かが見たらさそがし不気味な光景だろうが、こんな寒空の下、深夜の公園になど誰が好んで来るものでもない。
銀次は、はーっと手に息を吹きかけた。
指先がささくれだってガサガサになり、おまけにしもやけまで出来てしまったため、腫れて指が曲がりにくい。
その上睡眠不足が重なって、さすがに体力だけが取り柄と蛮に言われる銀次も、かなりフラフラな状態だ。
少し編むなり眠気が襲ってき、コクンと船を漕ぎかけて、思わず編み針で自分の眼を刺しそうになって、ぎょっとする。
そういえば夕方ビラ配りをしている最中も、何回か意識を失いかけて、今日は大学生くらいのお姉さんに思わず抱きついてしまった。
確信犯かよと蛮に怒られたが、好きでやってるわけじゃないのだ。
(いや、お姉さんは好きだけれども)
「それはそうと―。なーんか、よく考えたら、いつ渡せばいいんだろう。朝起きて、すぐ? それともホンキートンクで? あ、夜ご飯の時とかがいいかな。なんかあらたまって渡すのも変だし、さりげなくがいいよねー。ええと…。なんか照れちゃうなー。というか、緊張しそう…。ちょ、ちょっと練習しておいた方がいいかなー。コホン…。”え、えーっと、こ、これオレが編んだんだけど、よかったら”…って、なーんか女の子が片想いしてる男の子にプレゼントするみたいじゃん。それ、変だよオレ。もっと普通に。えーと、”はいこれ! マフラーなんだけど、使わない?” とかって。―あ、でも蛮ちゃんのことだしなあ、”使わねえ!”とか言いそう。…会話終わっちゃうなあー。うわあ、どうしよう。もっともっとこうさりげなく、何か”あ、そうだ、これ!”みたいな感じがいいよね! ええっと、さりげなく。コホン! …”ねえ、蛮ちゃん!”」

「おうよ」

「あのねー。これ、オレからのプレゼ… うわあああ!」
いきなり背後から掛けられた声に、銀次が思わずベンチの上でびくう!と跳ね上がった。
と同時に、ささっと手に持っていた毛糸や編み棒にくっついたままのマフラーを、慌てて毛布の中に隠す。
「なーに、1人でブツブツ言ってんだ、テメーは」
「ばばばばば蛮ちゃん!」
「ああ?」
「ど、どうしたの! こんな夜中に」
「どーしたって、用を足しにきただけだがよ。テメーこそ、んなとこで何やってんだ?」
「あ! お、オレはあの、ちょっと眠れなくて、お。お月見を…」
「はあ?」
「あ、えーと。蛮ちゃんみたく、トイレ行って、そしたらお月様がきれいだなあって…。んで、ここに」
「ほーお? テメエ、トイレに毛布引きずっていったのかよ?」
「え、ええっと! だって寒いし!」
「波児に借りてんだ。トイレで汚すんじゃねえぞ」
「わ、わかって…。ふぇ、ふぇっくしょい!」
「ついでに、鼻水もつけんな!」
「あい…」
ぐずぐず鼻をさせていると、蛮がズボンのポケットからティッシュを取り出し、一枚を出してやおら銀次の鼻をつまむ。
「ふが!」
「おら、チーンしな」
「ばんひゃん、オレ、子供ひゃないよ〜」
「うるせえ、鼻水垂らしたガキが文句抜かすな!」
「いでえ!」
摘まれた後はごしごし拭かれ、銀次が真っ赤になった鼻を指先で撫でつつ、ちょっと上目使いになって蛮を見上げる。
「…ん?」
「あ…。いや何でも」…。
「なんか言いたいことでもあんのか?」
「あ、えーと…。蛮ちゃんって、意外にも、テイッシュとハンカチはちゃんとポケットに持ってる人なんだなあって」
「…あ゛あ゛!?」
「い、いえ、何でもないです!」
殴られるのかと毛布を引き寄せ、思わず頭を低くする銀次に、そのベンチの後ろに立って、蛮が何事もなかったかのよう、煙草を取り出しそれに火を灯した。
あれ?
ゲンコじゃなかったの?
思いつつ、ちらっと蛮の顔を見上げる。
視線を空に上げて、紫煙をくゆらせながら月を仰ぎ見るようにしている蛮の瞳は、どこか遠くを映しているようだ。
夜の風に流される漆黒の髪を、長い指がばさりと掻き上げる。

”おめでとう”って、今言おうか。
銀次が、胸中で密かに思う。
でも…。
今は、何か言っちゃいけない気がする。
蛮ちゃんが思いを馳せているその遠くにあるものが、オレにはなんとなくわかるから。
”おめでとう”が聞きたいタイミングじゃない気がする。
それに。
プレゼントも、まだ出来ていないし…。
どうせだったら、プレゼントと一緒に”おめでとう”をあげたい。
蛮ちゃんが”おめでとう”を受け入れられる、そういうタイミングまで待ちたい。
銀次が思う。

もしかして、車に1人でいたくなかったのかも…。
そう考えて、少し胸が苦しくなる。
銀次はベンチに腰掛けて黙ったまま、蛮が見上げる空にある白い大きな月を共に眺めた。
静かに、月の上を雲が流れていく様をじっと見つめる。

「…蛮ちゃん」
「ん?」
「お月さま、きれいだね」
「…ああ」
「いい夜だね、なんか、静かでおだやかでさ―」
「…まあ、底冷えはするがな」
「オレ、でもこういう冷たくて、きりっとした空気好きだよ」
「へーえ、寒がりなテメーが、んなこと言うたぁな」
「そりゃ寒いのは苦手だけど。でも、冬は好きだよ」
「何でだ?」
「だって」

蛮ちゃんが生まれた季節だから。

「…あ?」
「え、あ、ううん。別になんとなく。コンビニにおでん入るし」
「は?」
「あ、えーと。お鍋美味しいし。ラーメンもあったまるし、肉まんもいろんな種類出るし」
「食いモンばっかじゃねえかよ」
「え! ああそうか」
言われて初めて気づいたというような銀次の顔に、蛮が思わずくくっとと笑いを漏らす。
「ったく、テメーは」
「あの…」
「さぁて、寝んぞ」
「―え! うん。でも」
「なんだ?」
煙草の吸い殻をゴミ箱に投げ捨て、蛮が踵を返してから、銀次の答えに上体だけ振り向かせる。
「オレ、もうちょっとここにいていい?」
「あ? 別にいいけどよ。寒くねぇのかよ」
「あ、うん。今んとこ。蛮ちゃん、先寝てて」
にっこりする銀次に、蛮が軽く肩を窄めるようなしぐさを見せるが、特にそれを咎めることはせずに頷く。
「――ああ」
「おやすみ、蛮ちゃん」
「おう。テメーも、さっさと寝ろや」
言い残して、てんとう虫に戻っていく蛮の背中を見送って、銀次がやさしく微笑む。

ごめんね、後もうちょっとだから。

心でそっと呟くと、毛布の中に隠しておいたマフラーを取り出した。
同時に、びゅうと冷たい風が銀次の頬を叩いていく。
「うおっ、寒っ! さて、と。もう一頑張りしよ!」
寒さなんかに負けないぞーとばかりに気合いを入れて、銀次はマフラーの仕上げに取り掛かった。

ああ、こんなことすんのも今日で最後なんだなー。
これでやっとゆっくり眠ると思う反面、ちょっと寂しい気もしてしまう。
別に、これで何が終了というわけでもないんだけれど。
でも。
どんなに寒くて手がかじかんでつらくても、蛮のことだけを思って毛糸を編んでいくのは、結構楽しいことだったから。
まあもっとも、睡眠不足のせいで、カラダの方はもうそろそろ限界なんだけど。
今日で、ちょうど2週間か…。
我ながらよくがんばったよなあ。


「えへへ、やっと出来たー!」

さも嬉しそうに、そのマフラーをぎゅっと抱きしめて、銀次が満面の笑みになる。
「オレが編んだって言ったら… どんな顔すっかなあ…」
きっと”アホか、テメー”とか言って、呆れられるんだろうなあ。
笑われちゃうかなー。
でも、いいや。
心の中でちょっとでも、嬉しいって思ってくれたら。
いや、そんなこと思ってくれなくても、首に巻いたりして”あったかい”ってそう感じてくれたら、それだけで充分かも。

思いながらマフラーを、夏実が用意してくれたプレゼント用の袋にきれいに畳んで詰めこむと、思わず笑みがこぼれてしまう。
嬉しくて嬉しくて、公園内をスキップでもしてスバルに戻りたい気分をかろうじて押さえ、銀次は紙袋を大事に胸に抱えると、温かなしあわせな気分で月を見上げた。









「ああ!? そりゃ、どういうこった? …あぁ、まあ、そうだけどよ。…ったく、あの処女はよォ、んだってまた、今回に限って誰とも組まねえで単独でなんぞ―― …そっか、まあそういうことじゃあ、しゃあねえな。―わぁった。引き受けてやんぜ。そん代わり、テメーの取り分、そっくりコッチに寄越しやがれ。あぁ!? あったりめーだろが! おうよ、仕事に関しちゃ、シビアなんだよ!」
蛮が、携帯に怒鳴っている声が遠くで聞こえる。
まだ半分夢心地にそれを聞きながら、銀次は、また眠りに引き込まれそうになるのをどうにか堪えた。
倒したシートの上で、毛布を引き寄せながら身じろぐ。
蛮の声は、どうやら車の外でしているらしかった。
「…ああ、わあった。で、今どこだ? そっか、んじゃ今から向かう。…え? 銀次? あの野郎は、まだ夢ん中だ。別に、そんくれえオレ1人で十分だっての。おうよ、んじゃ行くわ。後、頼むぜ」
ピッ、と携帯の切れる音がし、銀次が、ぼんやりと目を開く。
運転席側のドアに凭れていた蛮がそれに気づき、小さくため息を1つ付くと、車の前を通って左側に回ってきた。
それをフロントガラス越しに目で追って、銀次がまだ眠い目をごしごしと擦る。
何時だろう。
なんだか、結構よく寝たような。
いや、それでもまだ眠いけど。
思いつつ、サイドシートの窓をコンコンとノックする蛮に気づくと、銀次は慌ててばっと身を起こした。
カーラジオに表示されている、時間が目に入ったからだ。
「じゅ、じゅうにじ…」
うわああ、蛮ちゃん! ごめん、オレ大寝坊して…!と、半分錯乱しつつ、勢いづいてドアを開こうとしたが、なぜか手で制止されたので、目で指示されるままに仕方なく窓を開く。
蛮が、その窓から顔を覗かせて言った。
「やっとこお目覚めか、ネボスケめ」
「あ、あのオレ、ごめん、えっと」
「ちっとな、野暮用が出来ちまってよ。今から行ってくる」
「‥……え? っと、どこへ?」
「ホンキートンクにヘブンがいっからよ、まあ後で事情聞けや。一応、夜にゃ帰れるはずだから、腹減ったらホンキートンクで何か食って待ってな。わーったか」
「う、うん。でも、蛮ちゃん、いったいどこ…」
「じゃあな、行ってくっからよ」
「え。ええっ、あ、あの…」
寝起きなのも災いして、状況がよく掴めない上、自分が今どうしたらいいかという考えも全く浮かばないまま、銀次はただ茫然と、駆けていく蛮の背中をスバルの窓から見ているしか術がなかった。


正直―。
この時、銀次は、蛮がスバルを使わなかったことから、それほど遠くに行ったわけではないとタカをくくっていたのだ。
足で行ける範囲なら、もしもの時も、自分も後から追い掛けられるだろうし。
でも、実際はそうではなかった。




「ええっ! F山!?」
「そうなのよー」
「なんで、そんなとこ、蛮ちゃん1人で…」
「ああ、蛮クン1人じゃなくて、ミスターノーブレーキが途中で拾ってったから」
「――あ、そうなんだ。で、でもヘブンさん! だったら何でオレ、置いてきぼりにされたの!? オレに黙って行っちゃうなんて、そんなの酷いよ!」
「まあまあ銀ちゃん、そう興奮しないでー。だって、蛮クンが1人で行くってきかないんだもの。銀ちゃん、ちょっと具合悪そうだからって」
「え…」
真っ昼間まで眠りこけていた自分を見て、蛮はそう思ったのだろうか。
何度か起こしてくれたのかもしれないのに、まったく気づかなかった。
ホンキートンクのカウンターのスツールから思わず立ち上がっていた身体を、ゆっくりとまた腰掛けさせる。
がっくりという感じで、銀次の両肩から力が抜けた。
「まあね、そんなにヤバイ相手が敵についてるワケじゃないから、きっと大丈夫と思うんだけど。”依頼の品は無事受け取ったから、すぐコッチ向かう”って連絡があったっきり、急に消息不明になっちゃったから。――念のため、ね」
「…うん」
項垂れてスツールに坐る銀次に、ヘブンが大きな溜息をつき、助けを求めるように波児を見る。
波児も同様、は〜ぁ…とため息をついた。
「本当、ごめんね、銀ちゃん。私、今日が蛮クンの誕生日だなんて知らなくて」
「あ、いいんだ。そういうコトじゃないから―。ごめん、ヘブンさん。オレの方こそ」
「あ、ううん。万一、レディポイズンにもし事故があったとしても、彼女ごと依頼品を運んでもらえるつもりで馬車さんを手配したんだから、蛮クンまで頼むことはなかったのよね、私も…。あーあ、きっと彼女の方も、何て余計なことしたんだって怒るだろうなァ…」
カウンターに頬杖をついて、またしても溜息のヘブンに、銀次が慌てて笑顔になって宥め出す。
「あ、でもさ、ヘブンさん。もし本当に卑弥呼ちゃんに何か事故でもあったりしたら、蛮ちゃん絶対”なんで早く知らせなかったんだ!”って怒るだろうし、やっぱ、今だって心配でしょうがないから駆けつけてったんだしさ。卑弥呼ちゃんは、そりゃあ、1人でやってる仕事を横取りされて怒るかもしれないけど。本当に何かあって困ってたんだったら、きっと怒りながらでも、蛮ちゃん来てくれて嬉しいって思うだろうし―」
「銀ちゃん…」
銀次の言葉に、ヘブンが”まったく、本当にお人好しねえ、銀ちゃんはー”と微笑む。
「それにしても、蛮さん、お帰り何時頃になるんでしょうねえ」
夏実の言葉に、ヘブンが”うーん”と頭を抱える。
「まあ、野郎のこった。早々に仕事片づけて帰ってくるさ。心配ねえって、夏実ちゃん」
「だといいんですけどー。ご馳走とかケーキとか、全部蛮さんのためなのに…。銀ちゃんも―」
「え、あ、うん…」
夏実の言葉に、銀次がジャケットの中に隠すように抱えている紙袋をちらっと見下ろし、微かに瞳を曇らせる。
ジャケットの布地の上からそこを押さえる手が、無意識にぎゅっと力を入れて握りしめられた。



そして、蛮からの連絡は入らないまま時間は過ぎ、
ついに、日付が変わるまで残り数時間、というところまで
来てしまっていた――。








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